“東京都八重洲・福井県東尋坊” 地名の由来

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コトバの意外な由来をたどる

コトバの語源⑥

“東京都八重洲・福井県東尋坊” 地名の由来

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ごく普通に使っている言葉でも、どうやってできたのだろう、と思う表現はありませんか? 語源をたどってみると、ユニークな由来がある言葉は多いのです。今回は、意外と知られていない地名の由来をお届けします。

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東京都 八重洲

八重洲は、日本の首都・東京の表玄関である東京駅の東側にあたるエリアです。
この「八重洲」の由来は次のうちどれでしょう?

  1. 1:ここに8つの州(国)が存在していたから。
  2. 2:江戸時代、この地に住んでいた人の名前から。
  3. 3:東京駅周辺はかつて川に囲まれていて、中洲がたくさんあったことから。

八重洲は現在の外堀通り、江戸時代における江戸城外堀の東側に位置しています。
しかし以前は、八重洲と呼ばれるエリアは外堀の内側、現在の丸の内にあったといわれています。江戸時代、この地にヤン・ヨーステンというオランダ人が住んでいました。彼が住んでいた地域の周辺が、彼の和名「耶楊子(やようす)」を由来とした「八代洲(やよす)」と呼ばれ、後にさらに変化したのが「八重洲」の地名の由来とされています。ですから、正解は「2」です。
ヤン・ヨーステンは慶長5年(1600年)に豊後国(現在の大分県)に漂着した後、徳川家康に信任され通訳となり、鎖国時代の日本において数少ない貿易相手国だったオランダとの橋渡し役となりました。その際、江戸城の内堀に屋敷を与えられたと伝えられています。

住所としての「八重洲」が登場したのはさらに後のことで、昭和29年の町名変更の際なのだそう。
ちなみに、東京駅から八重洲通りを5分ほど進んだところにある日本橋三丁目交差点の中央分離帯には、ヤン・ヨーステン記念碑があります。そして近隣の八重洲地下街にも、ヤン・ヨーステン記念像が設置されており、「八重洲」の由来である人物ヤン・ヨーステンの名は、今も八重洲の地に刻まれています。お近くにお出かけの際には、足を運んでみてはいかがでしょうか。

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福井県 東尋坊(とうじんぼう)

世界有数の断崖といわれる、福井県坂井市にある東尋坊。
この「東尋坊」の由来は次のうちどれでしょう?

  1. 1:福井県内にある寺にいた僧の名前から。
  2. 2:東から来た僧が、この断崖を訪れた時に道を尋ねたことから。
  3. 3:かつて、ここは大きな寺院の東端に位置していたから。

東尋坊は自然の力で削られた約25メートルの岩壁が続く国の天然記念物で、越前加賀海岸国定公園に属する場所です。
地図で見ると日本海側の西側にあるのに、どうして「東」尋坊?と疑問に思う方もいるのではないでしょうか。
東尋坊がある福井県坂井市に隣接する勝山市には、かつて数千もの僧兵を擁した中世都市であり、白山信仰の拠点となっていた平泉寺(へいせんじ)があります。その僧兵の一人に「東尋坊」という名の僧がおり、彼の名がこの岩壁の名として残りました。つまり、正解は「1」です。では、なぜ平泉寺の僧の名がつけられたのでしょうか。
東尋坊は怪力を持ち、近隣に住む住民へ悪事を働いていたと伝えられています。そんな東尋坊を見かねた他の僧兵たちは、寿永1年(1182年)4月5日に東尋坊を海辺見物へ誘い出し、酒に酔わせて崖から落とす計画を立てました。その中には、東尋坊の恋敵であった真柄覚念(まがらかくねん)という僧も含まれていました。そして岩壁の上で始まった僧兵たちの酒盛りで、酒に酔った東尋坊を、僧兵たちが絶壁から突き落としたそうです。
東尋坊が崖の下へ落ちるとたちまち黒い雲が立ち込めて雷が鳴り響き、海が大荒れして大地が激しく震えたと伝えられています。東尋坊の怨念により真柄覚念も海の底へ沈み、その後49日間にわたって海は荒れ続けたそうです。それ以来、東尋坊が崖から落とされた4月5日は毎年海が荒れ、雷雨が東に位置する平泉寺へ向かったそうで、東尋坊のたたりとして恐れられたといいます。この出来事から、この地に「東尋坊」という名がついたそうです。

いかがでしたか?今回はどちらも、人名を由来としている地名をご紹介しました。お出かけの際には、地名の由来にも注目して観光を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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