難波・太秦 関西の地名の由来

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コトバの意外な由来をたどる

コトバの語源⑨

難波・太秦 関西の地名の由来

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ごく普通に使っている言葉でも、どうやってできたのだろう、と思う表現はありませんか?語源をたどってみると、ユニークな由来がある言葉は多いのです。今回は、関西地方の意外と知られていない地名の由来を二つお届けします。

大阪市 難波

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難波(なんば)は、大阪市の二大繁華街の一つ・ミナミの中心部にある地名。この「難波」の由来は次のうちどれでしょう?

1:激しい波が打ち付けていた場所だから。
2:地形が波を打つような形で、整地するのが難しい場所だったから。
3:高い波が多く、住みにくい場所だったから。

このエリアは昔、難波村(なんばむら)と呼ばれていました。ではどうしてこの地が「難波」と名付けられたのでしょうか。
諸説ある難波という地名の由来には、海が大きく関係しています。現在の大阪平野は、かつて「河内湾(かわちわん)」と呼ばれる海でした。そこが長い時間をかけて運ばれた土砂により「河内潟(かわちかた)」と呼ばれる潟となり、潮の満ち干きによって激しい波が打ちつけていたといわれています。その様子から、日本最古の歴史書『古事記』にも記されている地名「浪速(なみはや)」ができたと伝えられています。難波の由来には、この「浪速」が訛ったという説と、潟に難儀な波が寄せる様子から「難波」という名ができた説があるそうです。ということで、正解は「1」でした。
また、一説には日本最古の首都ともいわれる「難波宮(なにわのみや)」は奈良時代から存在していた地名ですが、この名前も「浪速」からきているといわれているそうです。
「浪速」「難波」いずれも「なにわ」と読むこともできます。この読み方の由来については、難波は川が多く、魚の多い場所だったからという説があります。魚は昔「ナ」と呼ばれており、魚が多く棲む庭という意味で「なにわ」と読むようになり、これが変化して「なんば」と読むようになったのだとか。
現在も「なんば」と「なにわ」の二通りの読み方が混在し、さらに「浪花」という地名も「なにわ」と読むため、複数の表記で同じ読み方を持つ、珍しい地名となっています。

京都市 太秦

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京都市の太秦(うずまさ)は、映画やドラマの撮影スタジオや時代劇のテーマパークがあることで知られるエリアです。
この「太秦」の由来は次のうちどれでしょう?

1:古代中国の秦から渡ってきた人が住んでいたエリアだから。
2:秦氏の拠点となっていたから。
3:大きな「旗」が建てられていた様が転じた。

「東洋のハリウッド」とも称される京都市の太秦ですが、読み方が難しい難読地名のひとつとして知られています。
太秦という地名の由来にも諸説ありますが、応神(おうじん)14年(283年)、朝鮮半島から渡来したと『日本書紀』に記述が残る、弓月君(ゆづきのきみ)を先祖に持つ豪族・秦氏(はたうじ)の存在が欠かせません。現在の福岡県・大分県にまたがる豊前国(ぶぜんのくに)から中央政権へ進出した秦氏は、現在の太秦に定住しました。秦氏は優れた養蚕や機織、土木技術を持ち、その技術により太秦で栄えたそうです。中でも絹布は朝廷への租税とされており、そのため太秦には絹布が「うずたかく」積まれていたといわれています。この様から、秦氏は朝廷から「禹豆満佐(うずまさ)」という姓を与えられました。この姓が、拠点という意味を持つ「太」と「秦」の名を合わせ、秦氏の拠点という意味の「太秦」に当てられたという話が太秦の由来の定説となっています。ということで、答えは「2」です。

太秦にある広隆寺は、秦氏が創建した寺院だといわれています。同じく太秦にある木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、通称「蚕ノ社(かいこのやしろ)」とも呼ばれる、養蚕技術を持っていた秦氏ゆかりの神社。境内には蚕の神を祀る蚕養神社が鎮座しています。
ちなみに太秦が時代劇の撮影所として選ばれたのは、秦氏が太秦の地で発展させた織物業により、時代劇に必要な衣装などの生産拠点があったことが理由の一つ。また、神奈川県秦野市をはじめとして、全国の「秦」と付く地名の多くは、秦氏の一族が居住したことに由来しているそうです。

今回ご紹介した二つの地名は、どちらも『古事記』や『日本書紀』に登場するほど長い歴史を持つ名前でした。このような歴史を知ると、その場所を訪れる旅がより一層興味深いものになりそうですね。

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