間違いやすい日本語|「日本橋」「京橋」 地名にまつわる間違い

間違いやすい日本語|「日本橋」「京橋」 地名にまつわる間違い


「日本橋に買い物に行く」と書かれていたら、どこを思い浮かべますか。関東の方は東京の日本橋を思い浮かべるかもしれませんが、関西の方なら大阪の日本橋を思い浮かべるのではないでしょうか。東京と大阪には、それぞれ「日本橋」、さらには「京橋」という地名があります。今回は、間違えかねない東西2つの地名について、ご紹介します。

東京と大阪で読み方が異なる 「日本橋」

中国の旧正月にあたる「春節」が近づいてくると、長期休みを利用して日本を訪れる外国人観光客の話題がテレビを賑わせ、日本の電気街で電化製品を購入する姿もよく報道されます。さて、日本を代表する電気街といえば「東の秋葉原、西の日本橋」といわれますが、ここでクイズです。

問. 「西の日本橋」こと、大阪の電気街「日本橋」の正しい読み方は?

1. にほんばし
2. にっぽんばし
答えは2の「にっぽんばし」です。

では、続けてクイズです。

問. 東京の「日本橋」の正しい読み方は?

1. にほんばし
2. にっぽんばし

こちらの答えは1の「にほんばし」です。
大阪の「日本橋」は「にっぽんばし」と読み、東京の「日本橋」は「にほんばし」と読みます。


東京の日本橋は、1603年、江戸時代初期に架けられた公儀橋(こうぎばし:幕府が管理した橋)です。日本橋は東海道など五街道の起点であり、橋筋の道の両側には大店(おおだな)が並ぶ、江戸を代表する繁華街でした。橋周辺の町を日本橋、あるいは日本橋○○町と呼びます。現在も、付近には日本銀行をはじめとした銀行が集中し、東京証券取引所があるなど、金融の中心地であり、百貨店や老舗商店が多く立ち並ぶ街でもあり続けています。

大阪の日本橋は、1619年に架けられた道頓堀側唯一の公儀橋です。橋筋の道には旅籠(はたご:食事付きの宿泊施設)が立ち並び、橋詰めには船着き場がある、水陸交通の要所でした。やがて、周辺に古着屋、履物と屋などの小売店が軒を連ねるようになり、戦前には古書店街として知られ、さらに戦後は現在のような電気街として姿を変えました。

東京の日本橋が、時代が変わっても江戸時代の頃の役割を今に残しているのに対し、大阪の日本橋は、時代を反映する商業の街として変わり続けてきました。「日本」という国の名前を抱いた、同じ綴りの名をもつ2つの街は、その変遷に違いはありますが、今も往来に人の絶えない繁華街として、その歴史に誇りを抱き続けているのでしょう。

現在も橋が残るのは、東西どちら? 「京橋」

「日本橋」に続き、「京橋」も東京と大阪の両方に存在する地名です。より正確にいうならば「京橋」という橋や地名は、京都、兵庫、和歌山、岡山、広島などにもあるのですが、今回は、東京と大阪の「京橋」についてご紹介します。どちらも川に「京橋」という橋が架かっていたことが地名の由来なのですが、現在、そのうちの一つは、実物の橋がなくなり、地名にその名を残すのみとなっています。
そこで、次の問題です。

問. 現在、実物の橋がないのは、どちらの京橋?

1. 東京
2. 大阪

答えは、1の「東京」です。


東京の京橋は、江戸時代、京橋川に架けられた公儀橋で、東海道で日本橋から京都へ向かう時に最初に渡る橋でした。江戸では、日本橋・新橋・京橋の3つの橋だけが、擬宝珠(ぎぼし)という装飾が許されていたことから、幕府が重要な橋と位置付けていたとされています。
京橋近辺は、明治・大正時代にかけて、日本橋と銀座を結ぶ街として非常に栄えました。しかし大正12年の関東大震災で大きな被害を受け、一度は復興したものの、続く第二次世界大戦で再びがれきとなりました。そのがれきで京橋川を埋め立て、街が再建されたのです。川がなくなったため橋そのものはありませんが、現在は地名として「京橋」は残っています。

一方、大阪の「京橋」は、大阪城の北側の寝屋川に架かる橋で、豊臣秀吉の時代に架けられたともいわれています。江戸時代には公儀橋とされ、当時は京街道の起点であり、東海道五十三次の終点でもありました。こちらは1924年に架け替えられた橋が現存します。平成の町名変更によって「京橋」という町名は姿を消してしまいましたが、駅名「京橋駅」にはその名を残しており、駅一帯のエリアが今も京橋と呼ばれています。

橋そのものが失われたり、町名が消えたりと、歴史に翻弄され続けた「京橋」。京都へ向かう起点だった2つの橋は、今も人々が集うエリアの名前として生き続けています。

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