語源・由来|「楽屋」「千秋楽」 娯楽に関する言葉

語源・由来|「楽屋」「千秋楽」 娯楽に関する言葉


奈良時代に朝鮮や中国から伝わり、平安時代には宮廷音楽として栄えた「雅楽」。舞を伴わないものを「管弦」、舞を伴うものを「舞楽(ぶがく)」といいます。今回は、日本の舞台芸能の歴史をさかのぼり、雅楽から生まれた、今も舞台の世界に残る言葉をご紹介します。

演奏家のための場所だった「楽屋」

「楽屋」といえば、舞台の出演者が支度をしたり休息をとるような控室を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし広い意味では、劇場の舞台において幕から後ろの部分にあたる、衣装や大道具・小道具を担当する裏方をはじめ舞台関係者のいる場所全体を指す言葉なのです。

出演者の控室、および、舞台の裏全体を「楽屋」というようになったわけは、舞を伴う雅楽である「舞楽」に由来します。
舞楽の演奏家である楽人が楽の演奏をする、舞台後ろの幕の内側にある場所を「楽之屋(がくのや)」と呼んでいました。この場所は屏風や幕で間仕切りがなされ、舞人が衣装を着たり、出番を待つ場所としても使われ、これが「楽屋」となっていきました。
やがて、能では囃子方と呼ばれる音楽や言葉の担い手は、楽屋ではなく舞台上で演奏するようになったため、楽屋は演奏者の場所ではなく、演技者の準備や休息のための場所となっていきます。

歌舞伎も能の様式を受け継いで、囃子は舞台の裏ではなく下座と呼ばれる別の場所で演奏されます。さらに、歌舞伎の内容が複雑に、大掛かりになってくるに従い、楽屋は仕事内容や地位によって部屋が仕切られるようになり、現在のような控室になっていきます。「楽屋」という言葉の背景を辿ると、舞台における音楽の演出方法に変化が見えてくるようで興味深いですね。

最後に演奏される曲・謡の名前「千秋楽」

芝居や相撲の興行の最終日を「千秋楽」といい、「楽(らく)」、「楽日(らくび)」などとも呼びます。では、最終日のことをなぜこのように呼ぶようになったのでしょうか。

「千秋楽」とは雅楽の管弦の曲名のことで、平安時代、後三条天皇の大嘗会にあたり監物頼吉という笛の名手によって作曲されたといいます。雅楽の曲名が、最終日を意味するようになったいきさつには諸説ありますが、そのなかのひとつには、この曲が法要において、最後に流される退出の音楽として用いられたから、という説があります。
その他の説としては、世阿弥によって作詞された謡曲の『高砂』にまつわる説です。「高砂や、この浦舟に帆をあげて」という一節は、結婚式で使われることでもよく知られていますが、終わりは「千秋楽は民を撫(な)で、万歳楽には命を延ぶ。相生(あいおい)の松風、颯々(さつさつ)の声ぞ楽しむ、颯々の声ぞ楽しむ」で結びとなります。『千秋楽』を奏することで民の心を和らげる……というこの終わりの部分を指して「千秋楽」といい、これが演能の最後に付け祝言として謡われたことから、千秋楽が「最後」という意味で使われるようになったといいます。

ほかにも秋が「終」、楽が「落」に通じるため、という説もあります。いずれの説が正しいのかは不明ですが、やがて「千秋楽」は歌舞伎などの興行の最終日を意味するようになっていきました。

ちなみに、「千秋楽」は歌舞伎においては「千穐楽」とも書きます。これは火事を嫌う芝居小屋が「秋」の「火」の字を避けて縁起のいい「亀」を含む字を用いたからなのです。

千秋という言葉は「一日千秋の思い」などとも使われます。これは1日会わないと何年も会わないように思うという意味ですが、このように「千秋」の「秋」は季節の秋のことではなく、「年」を意味しています。つまり、「千秋」には長い年月という意味があります。永年の繁栄への祈りが込められた曲のタイトルであった『千秋楽』。興行の終わりを意味しながらも、成功と繁栄が続くことへの祈りも込められた言葉なのではないでしょうか。

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